以前、祖父の死について書いた。
記事の祖父母は2人とも母方であり、父方の方はもっと早くに亡くなっている。
https://bom-shibuya.hatenablog.com/entry/2019/03/24/141302
https://bom-shibuya.hatenablog.com/entry/2019/04/12/182348
8/16に祖母が死に、昨日が葬式で参加してきた。
7月に帰省した際に祖母には会っているし、遠方だから葬儀は来なくても良いということだったが、祖母にも可愛がってもらったこともあるし、祖父の時は行って祖母の時は行かないというのも祖母に差をつけるようで嫌だったので、忌引きをとり電車を見つけて参列した。
祖母は何ヶ月も前から長くないという話を聞いていた。
7月の終わりに家族で実家を訪れた際、点滴が刺せなくなり、ペロちゃんキャンディで繋ぐことになった。
その後、お盆前にはキャンディさえなめることが難しくなり、口を湿らせることしかできない状態になった。
その状態で人間が何ヶ月も持つわけがないので、亡くなったと聞いてびっくりはしなかった。
ついに来たかと思ったし、やっと来たか、という気持ちもあった。
キャンディを取ることができなくなるなった後、一度突然目を開いて回復した日があったらしいが、それ以降はやはり駄目だったらしい。
葬式の帰りの車の中で母は、「足の指が紫になってきていた。こんなになってまで生きていなければならないのかと思っていた」と言った。
お盆は先祖が8/13にきて、8/16のお昼を食べてまたあの世に帰る。祖母は8/16の13時ごろに死んだので、祖父が来て、帰りに連れて行ったのじゃないかとお坊さんが言っていたらしい。
そうかも知れないと思った。
7月の帰省中、家族で老人ホームを訪れて、おそらくこれが最後になるだろうと思いながらひ孫たちと面会させた。
思ったよりも祖母は元気そうだった。手を動かすことはできるし目も開けていた。話すことはできないが、握った手に力を入れて意思表示するくらいはできた。
祖母の手を握りながら話しかけたり、ひ孫たちが笑いかけたりする中、すぐに疲れて眠りそうになっていた。
動けなくなってから、こうしてひ孫たちが祖母に対して話しかけてくれるのは皮肉だとも思った。
祖父が死んで、祖母は1人で暮らしつつ、母やその妹の叔母の援助を受けて暮らしていた。
ただ、祖母は生活能力がまるでなく、二層式の洗濯機で洗った衣類を次の日に脱水をかけ、さらに次の日に干すような人なので、家がすぐに荒れた。
帰省して会いに行く時に親はゴミ屋敷だからすぐに帰ってこいと言った。自分では何を話して良いかわからないから、親に一緒に来て欲しいと言ったが、来てはくれなかった。
祖母は初めの頃は入れ歯をカパカパさせながら、息子にクイズを出しながらお小遣いをくれた。金銭感覚も若干破滅していて、本当にもらって良いお金なのかの判断が難しかった。
その次に小さな娘を連れて行った時は家は実際、若干カオスの様相を呈していて、とても小さな娘と長居できる環境ではなかった。
30分くらい滞在して、出ようと思ったがひどく祖母に引き止められた。だけど衛生観念からも、子どもたちがここで遊びようがないことからも、後ろ髪をひかれながら早めに祖母の家を出た。
どうしたら良いのかわからなかった。久しぶりに来た孫とひ孫、帰ればあの家に1人。それも少しだけしか会えないなんて。
祖母は大きく腰が曲がり、入れ歯でひどく痩せていて、絵に描いたような老婆の様相だった。その上、積極的に子供達に近づいたり話しかけたりしてくることもあり、子供たちは少し怖がっていた。
前回の帰郷では、実家に祖母に来てもらう形をとった。
ずいぶん大人しく子綺麗になった印象だったが上の息子はそれでも距離をとりたがった。それを見て下の娘も同じことをした。一緒に写真を撮る時も少し嫌がっていたし、それ以外の時は隠れるなどしてずっとはいなかった。
俺はそれがひどく悲しくて、その後で強く叱った。
それが死にかけて、動けなくなった今の状態ではこうして話しかけてもらえている。ひどく残酷なことなのかも知れないと思った。
葬儀は家族葬でこじんまりと行われた。
父は祖母に対して当たりがきつく、直葬にすれば良いといっていたらしい。そんならお父さんが死んだ時は俺が直葬にしてやろうと言った。
開式の12時に少し遅れてお坊さんが到着した。曹洞宗。祖父は日蓮宗だったが、死後、お寺との関係が途絶え、諸々あって曹洞宗に変わったらしい。
葬式が始まり、お経が始まるや否や父は寝始めた。母隣で父の腕をつねり、幾度となく起こしていた。
自分は本当に父と言う人はこう言う人なんだと思った。
曹洞宗のお経はシンバルやら引導を渡す大声やらがあり、興味深く退屈しなかった。
祖父の時、お経を聴きながらぼうっと祖父についての思い出を振り返ったりしたが、今回は何も思い出せなかった。
時間が経ったからなのか、気持ちの整理がとうについていたからなのか、全て忘れてしまったからなのか。
生花を棺に詰め、祖母の頬を撫でる。冷たい。
出棺し、火葬場につき、最後の別れをする。焼却炉の中に棺を入れ、扉が閉まる。
ばあちゃんバイバイと、叔母がいう。自分はつい癖で、じゃあまたねと言いそうになったが、踏みとどまってじゃあねと言った。またはないんだなと改めて思った。
焼くのを待つ間、祖父のお骨をとりに例の祖父母の家に向かった。人が住んでいないし、畳がひどく汚れているからビニール袋のカバーを足につけて入る必要がある。
祖父は死んで8年経つが、まだお墓には入っておらずその家に置かれたままになっている。分家ということや、子が女2人で誰も後を継がず、お墓の管理ができないこと、祖母がこの状態だったこともあり保留され続けているということだった。
そんな中、叔母がとあるお寺に紫陽花を見に行った時に、非常に魅力的を感じ、その後今回の葬儀会社がそのお寺と繋がっていることがわかり、2人ともこのお寺の合同墓地に入れることにしたらしい。
以前の日蓮宗の寺とはすでに関係が切れていたため、宗派が曹洞宗に変わるがここに決めたということだった。
祖父もこれでやっと墓に入れる。一緒に入れてよかったねと叔母は言った。
お骨をとりに祖父母宅に到着し、中を見た。思ったよりも綺麗だった。長年生きていた金魚がいた水槽は空になっていた。
ここで祖父母から面倒を見てもらって、みんなで集まって、ご飯を食べて、父は酒によって潰れて、俺はお寿司をお腹いっぱい食べて、妹や従兄弟は遊んでたんだなと思った。
部屋の写真を何枚もとった。古い箪笥の中に入った角砂糖を勝手に舐めて、すごく美味しかった記憶が蘇ってきた。
もうすぐここは売られて、取り壊しになるらしい。
祖父が使っていた数珠を形見分けでもらった。
祖父のお骨の近くにあった。数珠の中の一つにガラス窓が空いていて、中を覗くと日蓮聖人が描かれている。
祖母は2年前に脳梗塞で倒れてから病院に入り、それ以降この家には帰ってきていない。その間祖父もひとりぼっちだったということだ。
祖母はこの家に暮らしていたことをもう覚えてないかも知れないと叔母は言った。
だけどどこからきたか聞くと、ちゃんとこの家の住所を言ったらしい。
火葬が終わり、骨を拾う。箸渡しをさせてもらい、緊張する。骨壷(というか箱だが)に骨を入れていき、紙で区切って頭骨は最後にいれる。職員が頭の形に頭骨を揃えてくれる。出来上がったものを父が写真に撮った。
帰りの車の中で、葬式で寝るような人間が、故人を偲ぶことをしっかりしない人間が写真を撮るのは本当に良くないと言って叱った。
その写真は偲ぶために撮ったのじゃなく、好奇心のために撮ったんだろうと思った。
お寺に祖父母のお骨を持って、お経をあげてもらう。確かに素敵な寺だ。うちの父と母ももしかしたらここに寄せることになるのかも知れない。
お経の後は軽くお寺で歓談し、お坊さんと叔母が合同墓地に納める契約の相談をしている。
妹の子は飽きて虫を探している。
窓からはオニヤンマが入ってきた。まだ蝉も鳴いている。
よく晴れてすごく暑い日だった。稲には穂がつき始めている。
住職と叔母の契約話をよそに、景色やお堂を眺めていた。
夏だなと思った。